「快楽とは水で薄めた痛みのようなものである」は本当なのか

気持ちの問題
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以前「受動意識仮説」「集合無意識」について、色々考察をしてみました。

https://www.everyday-atomatsu.net/entry/post-801

結果、「快楽とは水で薄めた痛みのようなものである」を検証すべきだと結論が。

今回はそれについてもう少し深ぼってみようかな、と。

どうやら僕は気持ちが落ち着いている時は「ですます調」で書けるらしい…。

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どうせ苦しむなら楽しみたい

ネガティブな思考や物理的な痛みや苦しみが大嫌いなんです、僕。

だからこそ「快楽とは水で薄めた痛みのようなものである」は、なかなか受け入れられない。

とはいえ、受動意識仮説と集合無意識を考えすすめると、苦しみから解放されない事は確定的です。

どうせ苦しみを感じるなら、すこしはマシに感じたい。

それに集合無意識が、そこまでイジメっ子だとも思いたくない。

きっと苦しみには「抜け穴」があるはずだと思い、見つけた言葉が…

「快楽とは水で薄めた痛みのようなものである」だったんです。

あらゆる刺激の本質が苦痛

自分で考え込んでもなかなか腑に落ちる回答が見つからないので、いろいろ検索してみました。

するとこんな文章が。

あらゆる刺激の本質が苦痛なのです。

 

「快楽とは水で薄めた痛みのようなものである」マルキドサド。

 

凝った肩を揉まれると気持ちがいいけど、セガールに掴まれたら骨ごと千切れて痛いですよね?空腹時の食事は美味しいけど、一定を超えたら拷問です。誰かの嬉しい好意も度が過ぎれば負担です。社会から期待されすぎればゲロを吐き、自慰をし過ぎれば粘膜から血が滲みます。

 

楽しいこと、嬉しいこと、気持ちの良い事というのは全て苦痛の始まり。

そして、それらとは無関係に独立した純粋な苦痛もある。

人の人生と感覚には、最初から多種多様な苦痛とその強弱しか無いのです。

引用元:ヤフー知恵袋

これのおかげで「快楽とは水で薄めた痛みのようなものである」という言葉そのものの意味は理解できました。

ただ、まだ腑に落ちない‥‥。

この世の刺激は1種類のみ

外から観測できる刺激はすべて苦痛で、強度が高いと「苦しい」強度が低いと「気持ちいい」なんでしょうか。

つまり刺激の種類はこの世には一つしか存在しなくて、あるのは「強度」だけ。

「刺激の発信源」と「強度」を司るのが集合的無意識という事なんですかね…。

何か刺激を得たときそれが気持ちよければ「おお~強度が低い…!」と思えばいいのでしょうか。

苦しかったら「強度高ぇ~~~~」と思えばいい…のか?

「この世に生まれたのは暇をつぶすため。暇にならないためには刺激をうけるのが一番」

昔どこかのオカルトブログでこんな一説をみた事ありますが、あながち間違ってないのかも。

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